体重グラフ   体脂肪グラフ
shirokuma180cm96kの体重グラフ shirokuma180cm96kの体脂肪率
  96.2kgスタート    28.5%スタート
スマート化計画
2008年8月27日 96.2kgより開始
2008年9月23日現在 88.4kg(-7.8kg)

2008年9月8日月曜日

Jとの時間

昨日のウォーキングが思っていたより、爽快だったので、今日も65分間のウォーキングを行った。昨日は初めてのジョギングコースで迷いながらのウォーキング。今日は昨日ほどではないが、やはり少し迷いつつ、コースを覚えながら歩いた。ピッチを上げたり下げたり、自分の身体を確かめるように歩いた。おそらく距離は5kmほど。

コースを歩いていると、歩く僕のそばを軽快に駆け抜ける老若男女。中には綺麗なフォームで気持ちよく走っている人がいる。あまりに軽快で見ているだけで気持ちがいい。そのそばで身体を確かめながら歩き、今の僕は走る事ができないんだと自覚する。理由は運動不足ということもさながら、体重が増えすぎていることだろう。少しピッチを上げて歩くだけで、膝に体重の負荷が大きくかかるのを感じる。肉体をきちんと整備し、体重を整えられれば、この負荷から自由になると考えると、思わずピッチを上げる自分がいた。

いや、焦らないでいこう・・またピッチを上げる、と自問自答。もう少し歩こうかと思ったが、今の自分には昨日の67分でも運動効果を感じていたので、きりよくゴール地点に立ったところで終了した。65分間の散歩になった。

今日の収穫は、今の自分はろくに走ることができない、と自覚したところ。一時間ほど歩くのが無理なく、すこし前進したんだ、という状態に今自分がいるということ。こんな事を言えば、僕は全くの健常者であるというのに何という堕落かと、恥ずかしいことやまやまである。健康に感謝することを思い出し、長期間、体のケアをすることを放り出していた事で、こんなにも自分の肉体が退化しているということに失笑した。

歩きながら、一時期、実家にいたボーダーコリーのことを思い出していた。ボーダーコリーのJはある日、突然我が家にやってきた。ペットショップで買い手が決まらないまま、少し大きくなりすぎたJは、値段を下げられて、狭い檻の中にいたという。たまたまそのペットショップに立ち寄った僕の妹は、僕がいつかはボーダーコリーを飼いたいと常々話していた事を思い出して、家に連れて帰ってきたのだった。

小さな時から犬と一緒に過ごすことの多かった僕は、Jと過ごす時間ができたことが本当に嬉しかった。覚えのいい犬で、お手や待てなどは二度のやりとりで覚える。遊びに来た友人たちもそのやり取りの覚えの早さに驚いていた。毎日、散歩や世話をし、そんな時間の分だけ、僕とJはパートナーシップを深めていったが、Jの様子が少し変だと気がつくのにはそれほどの時間はかからなかった。ペットショップで狭い檻に閉じ込められるようなかたちのまま、貴重な成長の時間を過ごさなければならなかったJは足が変形し、走ることがままならなかったのである。

散歩し、夜の人がいない公園に放しても何故か元気がない。食欲にも落ち着きがない。食事をした後の消化状態が健康的ではない。体つきに生命力がない。と、気になり、動物病院に行ったところ、院長はその状態に憤慨し、Jの状態を説明してくれた。骨格の変形と、消化器系の不良。改善の余地はないという。もちろん、すべてのペットショップがひとつの命をそんな風に扱っているとはとは言えない。しかし、誰のせいでもないJのハンディキャップが悲しくて仕方がなかった。

診断があってからも僕たちは一緒だった。Jは散歩が好きだった。体が言うことをきかないのだろう、散歩が好きなJも、散歩の中で、少し走っては休みたがる。少し走っては、ストップしてくれと、身体をこわばらせる。時には息が合わずに、Jが引きずられて、Jは足の裏に血を流したこともあった。そんなふうにお互いがあまり爽快ではないと感じながらも、僕たちは毎日の散歩を欠かさなかった。

ある日、僕は自転車にまたがって散歩した。いつものコースをゆっくりまわった。日課のコースの終盤で人のいないまっすぐな路だった。今思えば何を思ったのか、そこで僕は徐々にスピードを上げた。一瞬、Jが僕の目の表情を確認した。僕は、大丈夫だよと声をかけた。そしてまた徐々にスピードを上げた。気がつくと僕はJにむかって大きな声を出していた。その調子、いける、がんばれ、と。

まっすぐな一本道に僕たちのスピードはどんどん上がり、限界近く、猛スピードを出していた。車が横切って、はねられてもいいと思った。自転車の横で、Jの体毛は体の線に沿ってなびき、筋肉を目一杯に使い、、いつもの可愛い姿とは違う、野生の走りを僕に見せてくれた。猛スピードの中で景色のなくなった僕たちはまっすぐな一本の線の上にいた。家に到着した時、Jは本当に嬉しそうだった。僕も嬉しかった。本当にJはよく頑張ったと思う。

数ヶ月を過ごした頃、妹が身篭った。嬉しいニュースをJが運んできてくれたんだと、皆で喜んだ。しかし、妊娠期ゆえのナーバスさからか、妹はJを手放したいと泣いた。妹はJの消化不良などにみる病気が、母体や子に悪影響があるのではないだろうかと気にかけていた。僕は命というものについて考えようと説得したが、妹も納得しつつ、それでも、どうしても生理的に無理だと言うので、理解した。数日後、Jの健康状態を理解した上で、それでも引き取りたいと願い出てくれた新しい家族のもとへ引き取られていった。その後、電話でJの様子を何度か聞いた。健康状態がよくない。あとはしっかりと見送るから、それまでは楽しい時間をすごしたいと聞いた。それ以後のJの様子を僕は知らない。

あの時は知らなかった街の公園を僕は今日歩いた。走れない僕は、あの時の全速力のJの姿をずっと思い出していた。